森崎東映画祭 11/22・23
森崎東インタビューその1(登録無料で御覧頂けます) http://www.nicovideo.jp/tag/%E6%A3%AE%E5%B4%8E%E6%9D%B1 CO2事務局の西尾です。 今度、森崎東映画祭で司会をやります。 今一番お話したい監督と、ゲストに赤木智弘&緑魔子のお二人! もう「その日はバイトが…」とか行ってる場合じゃない! お洒落な○○映画祭とかスイーツなイベント行って「映画ファンです」って気取ってんじゃねーぞ!と。 もし騙されたと思ったら入場料と交通費を振込みで返金します! 特に、映画の仕事がしたい、と思ってる人は、森崎東の孤独な戦いぶりに耳を傾けて欲しい。 もし森崎東を「喜劇 女シリーズ」の新宿芸能社しか知らないのなら、その先入観を破壊されに来て欲しい。 森崎東は鈴木清順と相米慎二の間に立つ、アルトマンのような作家なのだ! いや、思い込みかも知れないけど、思い込みで世界が動くなら、みんなで思い込もうじゃないの! 今こそ、森崎東の再評価の時だ! さぁパンク監督・森崎東の言葉を。
「映画は世界である」
※前売券を購入したい方は西尾(damdamtuushin@hotmail.com)まで【お名前・連絡先・1日券か2日券・学生か一般・枚数】をメッセージ下されば、取り置きします! 【京都造形芸術大学映画祭】 ~森崎東の愛と冒険~ 森崎東監督のデビュー作と最新作、そして大傑作なのに何故か未ソフト化の2作品を一挙上映! 強烈なデビュー作で倍賞美津子&森崎コンビもここから…『女は度胸』 世界まるごと小さな町に詰め込んだ最新作…『ニワトリはハダシだ』 喜劇+活劇+政治劇+ファンタジーな傑作…『生まれかわった為五郎』 唯一の東映での作品で、東映の愚連隊達から歓迎の中で作られた最も野蛮な…『特出しヒモ天国』 以上、どれも傑作の4本です。しかも下の2本は未ソフト化作品。 映画祭当日は森崎東監督も御来場されます。 是非、お越し下さい!
そしてゲストは 森崎東監督が次回作に大きな影響を与えている『希望は戦争』の赤木智弘氏と、 森崎映画の「月の女神」緑魔子! 11/22(土) 14:00~ 『喜劇 女は度胸』(1969) 15:50~ 『ニワトリはハダシだ』(2003) 18:00~ トーク 森崎東×赤木智弘(フリーライター) 格差社会やアキバ事件など、今いったい森崎映画は何を描くのか? 11/23(日) 14:00~ 『生まれかわった為五郎』(1972) 15:55~ 『喜劇 特出しヒモ天国』(1975) 17:30~ トーク 森崎東×緑魔子(女優) 70年代アングラ女優を代表する緑魔子。何故に森崎映画では純粋さの象徴なのか?
場所:京都造形芸術大学内 春秋座 ●当日 通し券 一般2500円/学生・シニア1500円 1日券 一般1500円/学生・シニア1000円 ●前売 (メッセージ下されば取り置きします!) 通し券 一般2300円/学生・シニア1300円 1日券 一般1300円/学生・シニア800円
【応援檄文!】 《高橋洋の檄文》 もう20年以上前、『喜劇・特出しヒモ天国』は、名画座の森崎東特集の定番だった。私たち森崎ファンは幾度この映画を見て、葬儀の場面で芹明香たちが 「黒の舟歌」を歌い出す、あのもの凄い瞬間に涙したか判らない。だがある日、このフィルムはジャンクされ、ソフト化されることもなかった。私たちが『特 出しヒモ天国』に再会できたのは、それから20年後、森崎東レトロスペクティブのニュープリント上映だった。劇場にはもうだいぶ頭の薄くなりかけた森崎 ファンたちが詰めかけていた。そしてスクリーンには私たちのずっと信じていたものが、まるで信じられないようなパワーで甦った。場内に明かりがつくな り、観客は申し合わせたように一声もなく立ち上がり、そそくさと出口へ急いだ。みな、涙に濡れた眼を見られまいと下を向いて。こんな映画体験をもたらせ るのは森崎映画しかない。人は映画を見て涙するであろう。だが森崎映画にこみ上げる涙はまったく違うものなのだ。「涙とともにパンを食べた者にしか ‥‥」とは『女は度胸』に登場するゲーテの言葉だが、森崎映画を見た者にしか体験し得ない涙がある。それは作り手となった私たちが信じ続ける目標であ り、高みなのだ。近年、世界は韓国の“怪物”キム・ギヨンの発見で物々しいが、もし製作当時に公開されていたら日本映画を変えてしまったかも知れないキ ム・ギヨンを前にして、森崎映画は微動だにしないであろう。世界が森崎東を発見するのは時間の問題である。だが今すぐ発見してくれ! 《青山真治の檄文》 あなたは『サリヴァンの旅』という映画をご存知だろうか。自分のキャリアに行き詰って旅に出た映画監督が、田舎の映画館で超満員の貧しい人々が喜劇で笑い転げるのに居合わせたことで、自分の歩むべき道を見つける、そういう映画だ。森崎映画を見ると、私はいつもそれを思い出す。森崎監督自身が、毎回あのサリヴァンのように自分の歩むべき道を発見しては映画に戻ってきてくれるような気 がしてならない。だから喜劇であり、活劇である森崎映画では、誰も言わなかったとしても空耳で「ごはんたべたぁ~?」という陽気な生命の声がショットごとに聞こえてくるのだ。もしあなたにもそれが聞えたとしたら、あなたには問答無用で「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党」の党員資格が付与される。拒否権はない。それには覚悟も必要だが、まちがいなくあなたの人生に勇気と歓喜を与えてくれる。 《加瀬亮さんのコメント》 京都造形芸術大学映画祭の開催、おめでとうございます。 森崎東監督は、ほんとうに大好きな監督です。そしてものすごくオッカナイ監督でもあります。 「生きてるうちが花なのよ」、ボクはこれから先、この言葉をなんど口にしていくのでしょうか。 森崎監督の映画を、ずっと、ずっと見続けていきたいとおもいます。 皆様、多いに笑って、楽しんでいってください。 加瀬亮
【「ニワトリはハダシだ」公式HPより】 昨年私の見た映画ベスト1は、イーストウッドの『ミスティック・リバー』と並んで、森崎監督の『ニワトリはハダシだ』でした。理由は簡単です。その2本ほど〈真の映画〉とはこういうことだ、と教えてくれる映画は、今年にかぎらずここ数年お目にかかっていなかったからです。 娯楽も芸術も、古典も現代も、創造も破壊も、民族も個人も、宴会も孤独も、左も右も、愛情も憎しみも、とにかくすべてがキャメラの前で平等に運動=疾走に還元されることを〈真の映画〉と呼ぶとしたら、『ニワトリはハダシだ』こそ、その名に値す21世紀最初の、そして唯一の日本映画だ、と断言します。 倍賞美津子氏が包丁二刀流を構えた瞬間、背中に電撃が走り、僕は心の底から号泣しました。あの瞬間、『ニワトリはハダシだ』はあれほど好きだった『党宣言』を超えてしまった。しかし、ただただああいう経験がしたいからこそ、僕は映画を見続けてるんです。とくに森崎映画を! 森崎監督、次の映画はいつですか?! いますぐ見せてください!!! お願いします!!! 青山真治(映画監督) 森崎映画における「ニワトリはハダシだ」 脚本家 高橋洋 久々に森崎映画を堪能しました。 実にダイナミック、高揚する映画でした。 家の敷居があるけどないに等しい、人間が野放図に動き回るあの空間の感じ、僕はずいぶん遠ざかっていたような気がします。他の観客も郷愁と解放感で画面を見つめていたんじゃないでしょうか。 ボートの走りもベンツの走りも『党宣言』の迫力に直結する凄みがありました。森崎さんはふだんは全然アクションの話などしないのに、映画を撮ると何でトタンに堂々たるアクション映画が勃発するのか、ほんとに不思議です。 僕は準備稿を読んで、場面展開がぶっ飛んでいる、関節が外れていると言って、森崎さんとしては心外だったかも知れないですが、やっぱりぶっ飛んでいると思います。ぶっ飛んでいるけど、画はつながっている、そこが凄い。人間の動きや反応が決して常識的なところに収まらない、必ず飛んでいる。 そういうことが、もともと映画だったんだよなあと今日見ながら改めて思いました。今は、カットも尺もダラダラ長いものが多くて、だんだんそれが当たり前になってゆくような‥‥。 惜しむらくは、森崎映画ならではの映画がグングン走り出してしまう感じ、それが前半はグイグイ来るのですが、後半のベンツを巡る展開の中でもうちょっと走れなかったかなあということでしょうか。ただ、これはホンの構造上、なかなか難しいことだったかも知れませんが‥‥。 それにしても、これも森崎映画ならではですが、大変な密度の濃さでした。原田芳雄が泳いで島にたどり着くシークエンスなど、僕は準備稿を読んだ時から、何かまる で幻想シーンを読んでるようで、どんな風につながるんだろうとつかめずにいたのですが、海に飛び込んだり、突き落とされたり、そういう単純なアクションがドキッとする感じで起こって、ドンドンつながってゆき、決して浮き上がった感じにならない。以前、ホン作りでご一緒したときも、トコトン、キャラクターを練り、ギュウギュウにプロットを詰め込む作業をしていながら(その量がまた通常の映画の倍以上なんですが)、頭がロジックの方に偏らない、常に頭の状態が「視覚の人」であり続けている、あの不思議な感じを思い出しました。この感覚、なかなかうまく人に伝えられないんですが。 とにかくこれは、現代映画にガンと突きつける本物の「大きな映画」なんだと思います。それはカット割りひとつとってもそうだし、そういうカット割りが出来るだけ の態勢は森崎映画だからこそ準備できたとも言えるのですが、それだけではない、それ以前に、想像力というか、精神の張りつめ方において大きな違いがあるのだろう と。 テーマにおいても、これは親子の話であり、育てるということの根っこにあるものに切り込んでゆく映画なのですから、今の時世だからこそ、人々が触れ得たことに ハッとする、そういう伝わり方をすれば観客をつかめるのではないか‥‥。それは主人公の少年が感情のコントロールに懊悩し、母に食いついたりするさまを見るうちに ジワジワとそう思えてきたのです。そしてこの感覚は、映画自体がもつ解放的なアナーキーな力としっかり結びついていると思ったのです。なかなかうまく言い尽くせ ませんが、とりあえず感想まで。 p.s. ベルリン映画祭正式招待が決まったとのこと。おめでとうございます。 「何がどうドイツ人の気に入ったんだ」と監督は困惑されてるそうですが、いや、「これが映画だったんだ」という、有無を言わさぬ力なんだと思います。映画は、気持ちよく流通する前にまずぶつかってくるモノなんだという、「視覚」で考えるというのは本当にモノに触れ、根本から考えるってことで、それが映画なんだと、そういうことが今日現前してるのが森崎映画だと。それは世界の観客に伝わることだと思います。 この勢いで何とかレトロスペクティブも実現させたいですね。では。
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