映画雑記
上映展も終わり、しばらく倒れていました。 最近は新作の準備に追われています。 最近観た映画の感想をメモ程度に…
『光る女』監督:相米慎二 ・一般に70年代は「肉体の時代」、80年代は「知の時代」と言われるが、この作品は「80年代の肉体」という物を捉える試みでもある。そして東京という都市において過剰な肉体(主役は武藤敬二)は、ノイズでしかない。 ・長谷川和彦の『太陽を盗んだ男』に匹敵するスケール感を持つ大怪作と思われるが、カルト映画としてすら認知度が低いのがもったいない。
『新選組始末記』監督:三隅研次 『幕末残酷物語』監督:加藤泰 ・三隅が新選組の中に苦い青春という物語(個人史)を見出そうとするのに対し、 加藤は集団と個が繰り広げる残酷な歴史(世界史)にとことん拘泥する。 どちらも傑作。 ・三隅=大映=市川雷蔵 丹精な画面、柔らかい照明、上質なスター映画。 加藤=東映=大川橋蔵 京都の夏の暑苦しさを押し出したコントラストの強いモノクロ画面、ノーメイク、リアリズム、アンチ・スター映画。
『ゴング無き戦い』監督:ジョン・ヒューストン ・Jヒューストンが、Jカサヴェテスと同レベルの事をやってのけている事への驚き。この頃のアメリカン・ニューシネマの俳優の多くが「自然」を演じる事で意識的・無意識的に「役者としての自我」を押し付ける芝居をしているのに対し、この作品の役者たちは、驚くほどアメリカの風景の一部として存在している。
『Mr.ビーン カンヌで大迷惑』監督:スティーブ・ベンデラック ・ローワン・アトキンソンの濃ゆくてくどいギャグの下品さと、ジャック・タチ的なフレームや映画的な仕掛けを使ったさりげないギャグの上品さが、もの凄くいいバランスで共存している。W・デフォーがまたもや変な役でとても良い。最近どうしたのか(笑) ・作り手(しかも監督の独りよがりじゃなくスタッフみんな)の「映画愛」がストレートに伝わってきて、しかもその「映画愛」に対する(愛情こもった)皮肉の視点もあり、実は上質な大人のコメディに仕上がっている。
『かごの中の子供たち』監督:ジャン・クロード・ブリソー ・初期の作品だが、もうこの作品から「死神」がレギュラー出演。 ・黒沢清的(というか、まぁ、80年代ゴダール的)な俳優のぎこちない動きや画面の面白さに溢れているが、物語的には傑作『ひめごと』ほど盛り上がらない。ただし、人物造形の過剰さ、ロリータ系美女への妄想系エロは、この頃から既にかなり面白い。 ・アサイヤスより過剰で通俗的なブリソーは、実はもっと騒がれても良いんじゃねぇの?と不満。
『ダージリン急行』監督:ウェス・アンダーソン ・この人の作品を観ると、「他の監督は考えすぎなんじゃねぇの?」と思わせるほど、幼稚なくらいシンプルな画面構成で奇跡を起こす。(まぁ、だから嫌う人もいるんだろうな。)列車に乗るスローモーションや、人物を切り返す度に人が集まって増えている、なんてのはシンプルなアイデアなのに、涙が出そうになる。 ・今回も金持ちの話だが(笑)、W・アンダーソンの映画が凄いのは、カットの驚きだけじゃなく、「ベタなキャラが見せる意外に繊細な一面」という心地よい裏切りが観客の心の柔らかい部分を撫でる。僕が「アメリカ映画」で最も観たい部分は、「他者を受け入れる事への繊細な優しさ」であり、「はみ出し者への暖かい視線」に涙が流れる。アンダーソンは、そこに映画的な奇跡を起こす作家である。
『剣鬼』監督:三隅研次 ・素晴らしいファンタジー時代劇!(と言って差し支えない) ・主人公は犬と人間が交わって生まれた子=市川雷蔵。馬より速く走り、居合いの達人。これは江戸時代を舞台に「超能力」を持ってしまった純朴な男を待ち受ける悲運を描く、「哀しい怪物映画」である。 ・説明を極力排除し、ストーリーも愛想無くサクサク進む。その平熱的な心地よさの中で進む異常過ぎる物語が、たまらない。似てる印象の映画として、黒沢清の『復讐』やモンテ・ヘルマンの『イグアナ』を挙げておく。 ・黒澤明のリメイクよりも、三隅研次のリメイクをしろよ!
『カンバセーションズ』監督:ハンス・カノーザ ・終始、分割2画面で進み、登場人物もほとんど主人公の男女の2人だけ。コンセプト主体の映画は苦手だが、上手い。徐々にその効果にやられる。 ・自分勝手な感じの40前の男女の色恋話に嫌気がさしつつ観ていると、だんだんと知らされる二人の秘密に心地よく引き込まれていき、「幸せになるのは難しい」というラストの台詞に、苦笑交じりにニヤっとしてしまう。そして、今の時代に黒沢清以外に「スクリーン・プロセス」の新しいアイデアを実行する監督がいた事に、嬉しい驚きと共に、うならされた。
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